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現代俳句 子規のユーモア
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■ 2013-06-20
■ 吹田市・千里南公園にカワセミを撮りに来る人を見かける。
■ 色々な人が来るようだ。
■ 顔を知っている人もいるが、知らない人も多い。
■ 以前、オジロビタキが越冬した時は、期間が長かったこともあり、かなり多くの人が来た。
■ メスタイプで、最初は、分かりにくかったが、桜の頃は喉が色づいて、オスだということがはっきりした。
■ 懐かしい。
■ この時は、慈姑の碑の前だった。
■ 吹田市のユルキャラにもなっている慈姑だ。
■ 横に、朝顔に釣瓶とられてもらい水、の小さな碑もある。
■ カワセミのよく来る、通称、桃ヶ島の所には、東屋の横に、楓橋夜泊、の碑がある。
■ 公園の入り口には、石文の丘、だったか、そんな文字を刻んだ石柱が立っている。
■ まあ、そんなことで、ついでに見て帰った人もいるだろう。
■ 桃ヶ島のところでベンチに座っていると、鐘の音も聞こえる。
■ この鐘はベルだ。
■ 色々あるので、かね、と仮名で書くと、どのカネかは聞く人が判断しなければならない。
■ 普通、鐘の鳴る丘、といえばだいたい、ベルのカネだ。
■ 池の東の梅林のところには、会津八一の歌碑もある。
ひそみきて たがうつかねぞ さよふけて ほとけもゆめに いりたもうころ 会津八一
■ この歌のカネは、例えば、かきくえばかねがなるなりほうりゅうじ、のカネと同じ種類のカネではない。
■ まあ、そんなことは言うまでもなないことかもしれない。
■ 日本語の場合、同音異義語があるからややこしい、というか、表現が豊かになる。
■ 以前、どこかに、・・・
言葉に心を込める
■ ・・・、などと言うことを書いた。
■ 言葉自体に心が込められるわけがない、そうとも言えるが、・・・
■ 心を込めるとはどういうことなのか、・・・
■ 言葉を単語と捉えると、言葉自体に心が込められるはずはない、ということになる。
■ 言葉というものは単独であるわけではない。
■ 文章の中、とか、会話とか、で使われるものだ。
■ 要するに、どういう使い方をするか、ということが、心を込める、という意味に当たるというわけだ。
■ 先にあげた、八一の歌や、正岡子規の句のカネはその歌なり、句としてどのように使われているか、・・・
■ 日本人は、それをいちいち説明されなくても、経験的に分かっている。
■ 先日、翻訳を研究している人に出会ったが、・・・
■ その辺のところどうなのか、と思う。
■ また、言葉は社会的背景により使い方が違うのだが、歴史的背景が分からなくなることもある。
■ 正岡子規は明治の人だが、平成25年の現代において、・・・
■ 平成生まれの人は、大人であっても、既に、昭和という時代も知らないわけだから、実感としてないだろう。
■ 今は腕時計をしない人も多いかもしれない。
■ 代わりになるケイタイ、とか、スマホ、とか、時刻を知ることのできるものを身近に使用しているからだ。
■ 子規の世も、腕時計は一般的ではなかった。
■ 何で時を知ったのか。
■ 鐘の音だ。
山のお寺の鐘がなる。お手てつないで皆かえろ、カラスと一緒に帰りましょ。
■ 千里南公園の鐘も意味的には、この童謡と同じように、時を報せる鐘だったようだ。
■ なぜなら、日に4回鳴らされるカリヨンの曲は童謡が主だからだ。
■ まあ、そういうことで、このカリヨンも人の関心から外れてしまったようだ。
■ 建てられて、30年もすれば、何でもなくなるのだろう。
■ たまに、12時に通りかかり、鐘の音を聞いて、どこに鐘があるのか音のする方を見ている人もいる。
■ しかし、夏に、冬の曲が流れても誰も気にしないようだ。
■ それは、まあ、いい。
■ 時を告げる鐘、・・・
■ 正岡子規の句に、・・・
行く秋の鐘つき料を取りに来る 子規
■ こんな句がある。
■ 鐘の音が聞こえる範囲の人々から幾らかのお金をもらって寺が時報の仕事をやっていたということだ。
■ そんな歴史的背景を知っていれば、法隆寺の鐘は何時の鐘かも分かるだろう。
■ 午後3時、おやつの時刻だ。
■ 「おやつ」とは8つ鳴らす鐘の音、そういう時、一休みの時刻なのだ。
■ 正岡子規も旅の途中、法隆寺のそばで、その句を思いついたのかもしれない。
腹時計 柿食う時の 鐘の音 遊水
■ 歴史的背景を知らなければ、俳句の本当の意味も分からないし、・・・
■ 正岡子規という人の人柄も分からないままに終わるだろう。
■ そのへんのところは、例えば、山本健吉はよく分かっている。
彼は法隆寺の茶店でも柿を食いながら、鐘を聞いた。
あるいは、東大寺の経験を法隆寺の句に移したのかもしれない。・・・
「柿くえば」おあつらえ向きに法隆寺の鐘が鳴ったという表現には、あわいユーモアがある。
■ ・・・、まあ、そういうことだ。
■ しかし、なぜ、おあつらえ向き、なのかが分からなければ、どうしようもない。
■ これだけ書いて、分からない人に分からせようとしても無駄だ。
■ 山本健吉の本は味わい深い。