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再読 近藤紘一
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■ 2013-09-05 引用部を追記した。
■ 2013-09-02
■ 全てではないけれど、再読した。
■ 以前は、こんな頁を作っていたが、・・・
■ あるいは、また、読んでみたくなることがあるかもしれない。
■ 参考まで、いくつか拾ってみた。
近藤紘一 「夏の海」「仏陀を買う」を読んで・・ - 九谷焼陶房日記・・九谷美陶園から・・
■ 沢木耕太郎が、目撃者、の、あとがき、としての、彼の視線、に書いている。
■ パリへ行った妻と娘、その半年後に近藤紘一は死んだ。
■ ・・・、と。
■ 1986年、45歳だった。
■ 1960年 ベトナム戦争
■ 1963年 Blowin' in the Wind - Wikipedia, the free encyclopedia
■ 1964年 浩子さんと結婚
>> 私の前の妻の父親は、外交官であった。
>> 彼女は、父親の任地を転々として、その形成期を過ごした。
>> 十代半ば過ぎになって、彼女は突然、父親の任地のフランスから、一人、帰国した。
>> 卒業後、間もなく、私たちは結婚した。
>> はためには完全な日本人に戻っているように見えた。
■ 1967年 パリ 26歳
>> こうして祖国の土と空気を自分のものにしようと懸命に努力を続けていた彼女を、私は、再びフランスへ連れ出した。
■ 1968年
>> どうしたのかしら
>> また、デモかな
>> でも、まさかこのシャンゼリゼまで
>> あっ、ごらんなさい、あれ
>> 衝突よ、乱闘になるわ
>> どうなるの、どうなるの
>> 乱闘になる。はじまるわよ、ほら、このままぶつかって大乱闘よ
>> 私もゆく、私もゆく
>> どうしたんだい。馬鹿な真似をするな
>> 私もデモに加わるのよ。みんなと一緒に戦うの。パリはお終いよ。
>> みんなと一緒になりたい。みんなと暴れてパリを壊してやる。
>> よせ、ここにいるんだ。
>> 本当にやるつもりか
>> 私も行く、行かせてちょうだい
-- と、腕の中で暴れていたさいのあの目の光を思いだす。
-- おそらく、あれが最後の機会だった。あの段階ではまだ打つ手があったはずだ。
-- 結局、私は何もしなかった。
May 1968 events in France - Wikipedia, the free encyclopedia
▶ Paris Uprising May 1968 - YouTube
▶ 1er mai 68 chronologie des événements - archive vidéo INA - YouTube
20世紀の社会主義6 プラハの春 Prague Spring 1968-1989 - YouTube
■ 1968年
■ 1968年 東大紛争 - Wikipedia
■ 1969年 東大安田講堂事件 - Wikipedia
■ 1969年 ▶ フランシーヌの場合ー新谷のり子 - YouTube
■ 1970年 浩子夫人死去
■ 1972年 ナウさんと結婚
■ 1975年 サイゴン陥落 - Wikipedia
■ 1978年 イラン革命 - Wikipedia
■ 1983年 アキノ暗殺
Assassination of Benigno Aquino, Jr. - Wikipedia, the free encyclopedia
Aquino Assassination - YouTube
■ 1983年
■ 1986年 死去
■ 「パリに行った妻と娘」解説・吉川精一、に、・・・
>> 近藤の死去の3日前、・・・
>> 結局私は近藤の「サイゴンから来た妻と娘」については彼の著作でしか知らなかったのだが、
>> ナウさんにしてもユンちゃんにしても実際には本の中の印象とはだいぶん違った。
>> そしてそれらはいつもながらの近藤独特の些か誇張のこもったユーモラスな表現のせいと理解した。
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■ ついでに、・・・