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もえいづる・わらび、の話
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■ 2012-12-30
■ 昨夜、万葉集に詠われた「わらび」は、今でいう蕨ではなく、ゼンマイの一種、のことではないか、というような話があった。
■ よく聞いていなかったので、大雑把だ。
■ それを聞いて思い出した。
■ 昔、送電線が切れるなどして、山火事があった。
■ 次の春は、蕨が沢山生えていた。
■ 蕨は乾燥した場所を好む。
■ 従って、・・・
いわばしる たるみの うえの さわらびの もえいずる はるに なりにけるかも
■ とあるような、水気の多い場所には生えない。
■ まあ、そういうことだ。
■ なるほど、今でいう蕨ではないのは納得する。
■ 「わらび」は「藁」と「火」だという。
■ そして、ゼンマイ?が生える時、先が、赤い色をしているそうな。
■ 名は体を表す、などという。
■ 名前の前にモノがあり、それを言い表すのが名だから、・・・
■ そのモノを他の人が見て分かるような名であることになる。
■ そして、・・・
■ 「萌え出づる」は「燃え出づる」に通じるのだろう。
■ ・・・、ということであれば、この歌はその情景をよく捉えた、素直な歌だ。
■ 春になる喜びを感じたこころがよく表されている。
■ ただ、表記としては、・・・
石激 垂見之上乃左和良妣乃 毛要出春尓 成来鴨
■ この「激」しさを、「はしる」と読むのがいいのかどうか、・・・
■ 「垂見」は「垂水」ではあろうが、小さな植物に目を留めているのだから、激しく落下する滝ではないだろう。
■ 落下するというより、たれる、という感じだろうから、・・・
■ しかし、また、逆に、激しい大きな滝の横の石と、そこに生える上の小さな植物を対比させているのかもしれない。
■ そうならば、あるいは、「さわらび」に自分を託しているとも考えられる。
■ どちらかと言えば、そういうことであった方が心情表現として、面白いかと思う。
■ 作者がどのような時代に生き、どのような人生を送ったか、それが自ずと歌に現れると思われる。
■ 「石激」という表記は、心のうちにある激しい感情、ということではないか、・・・
■ ついでながら、・・・
■ 万葉集には、この歌の次に、・・・
かむなびの いわせのもりの よぶこどり いたくな なきそ あがこひまさる
■ この歌の注に、「人を呼ぶようになく鳥。郭公か」、とあるが、・・・
■ カッコウではないだろう。
■ 別の本に、ツツドリか、ハト、などとあったが、・・・
■ これらのうちでは、鳩とするのが適当のような気がする。